嘘つきは損
自分はかつて嘘つきだった。
しかし、元々不器用なのに嘘をついていたから、すぐにバレてしまい恥をかくことが多かった。
それで、その時は絶対にばれないように思える嘘でも、嘘はやがてバレるということを思い知ったし、バレた時の信頼関係の損なわれ方が激しいので、長期的に見て割りに合ってないということを身をもって知った。
嘘というのは、付こうと思えば付けてしまう。
言葉一つだから簡単なのだ。
だからこそ、嘘がやめられない人がいる。
私のように痛い目を見てきた人ならやめようと思えるのだが、下手に頭の回転が良いと、嘘も巧妙でうまく大怪我を免れて来てしまい、完全にやめるチャンスを逸してしまう人もいる。
人間を甘く見る特徴がある
しかし、人間とは言葉で会話をしているのだけれど、言葉以外の様々な情報や感覚を大いに使っている。
だから、嘘はメッキが剥がれる。
その場は左脳判断なので言葉だけしか見ないからしのげるのだけど、右脳が遅れて働き出すと、矛盾点があぶり出されてくる。
そういった意味では、嘘つきは決して頭が良いとは言えない。
誠実さというのは、7つの習慣で言う”原則”にあたるもので、普遍の法則であり、嘘は永続性がない。
嘘つきはそういった認識がない。
また嘘つきは、他人の能力をバカにしているんだと思う。
自分のつく嘘はばれないだろうと高をくくっているのだ。
しかし人間というのはそんなに馬鹿ではない。
嘘つきは決して賢いのではない
嘘つきというのは、左脳優位なんだと思う。
ある意味、現実しか見ないこの社会の被害者とも言えるかも知れない。
私も、未熟な頃に嘘をついていたのは、親が精神性の大切さを問いてこなかったからだ。
親は、昭和に生きる人間という感じで、モノやカネに強く価値を見出していた。
親に教育を受けなかったら、社会から教育を受ける羽目になってしまった。
昔から、私にとっては人生がなんでも教えてくれる教師である。
親はずる賢いところがあったので、表面を取り繕う生き方でも良かったのかも知れない。
しかし私は不器用なので、”うまくやる”というのが本当に苦手だった。
子供の頃は、親の言うことが全てであり、また自分自身も正直すぎるところがあったので、親の言うとおりにやろうとした。
しかし下手くそな自分を、親は非難した。
「なんでもっとうまくやらないんだい。馬鹿だね。」
またその言葉を真に受け、自信を失っていくという始末だった。
私の作る嘘やハリボテに対し、怒ってくれる人というのがいて、自分にはこのやり方は合っていないと、20代半ばでようやく気付くことができた。
素直に王道を生きればいいじゃない
やはり真実が大事であると。
嘘をつかなくて済むように、普段の行いから正そうと。
嘘偽りのない自分をさらけ出す。
どこを突っつかれても痛くない自分を提示する。
そういう生き方に変えてから、本当に安心できるようになったし、生き方がシンプルになったと思う。
コメント