実は消費者側になってないか?
一般的に娯楽と言われているものに親しんでいる時、抽象的な物の見方をすれば、実はお金を消費しているということになる。
別の言い方をすると、誰かに楽しまされている時、あなたはお金をその人に払っている。
何かによって楽しまされている時、あなたはその何かを作った人に対価を支払っている。
抽象度を上げれば、払っているものはお金である。
例えばテレビを見ていたとする。
あなたは野球が好きで、テレビ中継を見ている。
ゲーム展開に興奮し、約2時間の中継を存分に楽しんだ。
しかし、この野球中継という一つのパッケージが生み出される裏には、非常に多くの人間が絡み、時間と労働力が結集されている。
一人の野球選手を取っても、それまでの人生は野球一筋。野球のことだけを考え、練習に打ち込んできた。
テレビ局の人間、カメラマン、アナウンサーなどなど、多くの人間の努力の総和によって、人々が見て楽しめるアミューズメントが完成する。
この場合、野球に関わる人々は生産者側、視聴している側は消費者ということになる。
あなたは、テレビ中継に時間を使わされる。
楽しませてもらっている。
その結果、CMの影響により購買行動となったり、テレビの電気代や、また野球チームのファンとなることで実際に球場に見に行ったりして、お金があなたから出ていく流れができる。
お金を得るためには生産活動に回る必要がある
お金を得るためには、原則として対価を得させないといけない。
そのためには、価値を生み出す必要があるわけだ。
その価値の一つとして、相手を楽しませたり、感動させたりすることも含まれる。
日本のような物があふれる成熟社会では、何か物を買ってもらうよりも、相手の心を楽しませることの方が優位になっている。
だから、あなたがもしサラリーマンで、勤務時間以外の時間は何らかのコンテンツに時間を使わされているだけならば、あなたはきっと裕福ではない。
それで不満がないのなら構わないが。
しかし、もしあなたが、自分のお財布事情に満足していないのならば、あなたの時間の使い方を見直す必要があると思う。
例えば、このブログの文章を見ている人は、私によって時間を使わされていることになる。
私は、自分なりに価値の高いと思ってもらえるような内容のブログを目指し、日々更新しているつもりだが、そのためにそれなりの時間や労力を投入している。
このブログを訪れた人は、価値を感じてもらったり、もしくは内容に憤慨する人もいるかも知れないが、私のブログによって何らかの思いを抱き、時間を消費していただいている。
その結果、私には広告収入が入るわけである。
しかし私の場合は小学生のお小遣いよりも少ない金額ではあるが。
消費者だけでなく生産者としての割合を増やそう
もちろん、消費者側がいけないということではない。
勉強になったり楽しかったりして有益なコンテンツは当然ある。
しかし、消費だけに傾いてしまっている人が人口のほとんどであり、そういった人たちが知らぬ間にお金と時間を消費させられてしまっているのが現状なのだ。
あなたももし、生活を変えたければ、生産活動を始めるべきだ。
そうすることで、お財布からお金が出ていくだけの流れが変わっていく。
世のお金持ちは、程度の差はあれ何らかの生産活動を行った結果なんだ。
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