私がやってしまった失敗
よく精神世界の中で言われていることで、「思考を手放せ。ただあるがままに」というものがある。
私はこの言葉に騙されていた。
というか、言葉にとらわれていた。
その結果、現実の生活において、とんでもないアクシデントが頻発することになった。
現実世界で起こっている問題は、流れに任せず、やはり自分で解決していかなければならない。
そのためには、いろいろと思考を巡らせる必要もある。
ところが私はそれをしてこなかった。
そのために、もともと潜在的な問題だったものが、積もり積もって目の前に現れて来た時に、とてつもなく大きな問題として襲いかかってきたのだ。
・・・笑わないで欲しい。私は本当に不器用な人間なのだ。
例えば日常のごちゃごちゃとしたことは億劫で、考えないようにしていたら、クレジットカード料金の未払い通知が来たとか。
やはりそういったことは、思考力をもって、いついつまでに銀行口座にお金を入れておくと言う風にしておかないといけない。
思考と妄想は違うものだった
しかし、スピリチュアル的には、思考は嘘であり、手放すべきものだと言われている。
一体どうしたらいいのだろうかと悩んでいたら、本日ひらめきが降りてきた。
思考は行為の一種であり、妄想とは別物である、と。
そう、「思考を手放せ」の思考が何を指すかを間違って認識していた。
思考を手放せ、と言われたら、全く考えないようにすべきだと考えていた。
違うのだ。
こちらが積極的に物事を考えるタイプの思考は、手足を動かしたり、何か実際に仕事をしたりするのと変わらない。
”行為”の一つということになる。
で、手放すべきは妄想である。
勝手に頭の中に浮かんでくるタイプの思考だ。
それは幻想であるので、内容について信じる必要はなく、気にするべきではない。
このことがごっちゃになってしまっていたため、現実世界で問題が頻発してしまった。
現実もしっかり生きていくことが私達には求められている
教えというのは、記号を使って伝えられる。
文字という記号だ。
その記号が指し示すものを正しく認識する必要がある。
今回は、文脈によらず、文字そのものにとらわれてしまったのが失敗の原因だ。
しかし、果たしてこのことについて解説していた人間がいただろうか?
現実の問題について考えて対策を練ったりするのは、スピリチュアル的な道に反するものではない。
私達はイメージの世界だけで生きているのではなくて、現実世界にも根を下ろしているのだから、そっちもしっかりとしておく必要があるのだ。
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