不機嫌をコントロールできずに撒き散らすのは甘えでしかない

不機嫌は甘え 創造する力

いつも不機嫌な心理状態

不機嫌になりやすい人。いつも不機嫌な人。

不機嫌を撒き散らして平気でいる人。

そんな人間はあなたの身の回りにもきっといることだろう。

もしかしたら気づいていないだけで、自分がそういう性格だという人もいるかもしれない。

不機嫌な人と関わらなければいけないときは、とても気が重い。

一緒にいる自分まで気分が悪化してくるし、何かと気も使う。

不機嫌をコントロールしない人間は、当人の自覚なしに周りにエネルギーを使わせているのだ。

そんな人間からは自然と人が離れていくものである。

不機嫌をコントロールしない人間は、本人は自分の感情通りにできて満足かもしれないが、気づけば周りに誰もいない、孤独な人生となるだろう。

不機嫌は甘えであり、自分の心理をコントロールする責任を知らない

不機嫌な人の言い分を聞くと、いつも自分の正当性を説いて、自分以外の誰かが不機嫌の原因を作っていると言う。

しかし、不機嫌な態度を取る人には、そこに甘えが同居しているようにも思える。

非常に反応的な態度であり、自分の意思を行使する努力を放棄しているからだ。

自分で自分の機嫌を取りコントロールしようとせず、誰かに機嫌を取ってもらうことだけを考えている。

そして、機嫌を取ってくれなければさらに不機嫌を撒き散らす。

そこに甘えが見て取れるのだ。

感情的な大人を見ると、精神的に幼稚に見えてしまうのはそれが原因だ。

やはり何か事件があっても動じない精神を持っている人に、尊さを感じたりするものだ。

子供は、思ったこと、感じたことをそのまま表現するものだ。

子供のときはそれでいい。

それが子供らしいわけであり、可愛げにもなってくる。

思ったことをちゃんと表現するのも大事なことだし。

しかし、そのまま大人になってしまった人間も数多く存在する。

大人になる過程で、意志力というものが育っていなければいけない。

意志力を使うことで、湧いてくる感情と全く同じ通りに行動しなくて済む。

不機嫌な人は、自分の感情は意志力でコントロールできるということを知らない。

そして、大人が意志力を持っているということは、本人の考えに関わらず、そこに責任が生じてくる。

コントロールできるなら、コントロールする責任が生じるということだ。

車のブレーキが付いているのに、ブレーキを踏まなくていいなんてことはありえない。

危ないと思えば、あなた自身が必要な時にブレーキをちゃんと踏まなければいけない。

それが責任だ。

「でも、相手が信号を無視してぶつかってきたんだ!」

それでも、あなた自身ができる範囲で事故を避ける努力をしたか?

誰かがあなたに嫌な思いをさせるようなことをしてきた。

それでも、あなたは意志力を行使し、感情をコントロールすることで感情を乱されることはなかった。

このようでなければならない。

私の母親の話

私の場合、母親が不機嫌のコントロールを放棄して他人のせいにするタイプだ。

彼女の発する言葉は常に後ろ向きで、何かへの文句であり、聞いてて気分が悪くなってくるので、実家へはなかなか足が向かない。

極めつけにヒステリックであり、そんな人間は刺激しないで放って置くのが一番当たり障りがない。

それでも子供のときは、親の影響下から逃れられないので、不当に不機嫌を撒き散らされて育てられて来たんだと思う。

子供の頃の母親に対する印象は、大きな鬼のようであり、その頃の恐怖心が未だに抜けていない。

今でも私にとって母親はトラウマになっている。

親はこんな子供の心境など知る由もなく、帰省すれば泊まることを勧める。

しかし私は泊まることを拒否することにしている。

実家に泊まると普段見ることのない悪夢を見るからである。

完全に潜在的に恐怖を感じてしまっているのだと思う。

不機嫌をコントロールしない大人に育てられた子供の精神は、このようにトラウマになったり、自信が持てない状態につながる可能性がある。

そうならない場合は、私の妹のように、強く親に反発するようになるだろう。

大人同士ならば、嫌な人間には近寄らないということができるが、実の子供はそうはいかない。

理不尽にも、不機嫌の撒き散らしを日常的に味わうことになってしまう。

老後になっても子供たちが誰も世話に来ることもないという老人が世の中にはいる。

その姿を見て不憫にも思うが、もしかしたら、子供たちが嫌がっている可能性もあるんじゃないかと思う。

子供が親に対して恩を感じていない、もしくは面倒くさいとか、場合によっては恨みに思っているというパターンだ。

自分の機嫌を押し通すのはその時はスカッとするのかもしれないが、周囲が嫌がって避けるようになるので、人生トータルで考えた時にはやめたほうが良いだろう。

大人になれば、不機嫌を撒き散らさずコントロールする責任が生じる

自分でコントロールできるはずなのに、それを放棄して、不機嫌になったのは相手が悪いんだということをひたすらに主張して回る人がいる。

恥ずかしいからやめなさい。

周りに迷惑をかけていることに気づこう。

もう、子供ではないのだから。

大人になればもう、不機嫌は自分でコントロールするものだという、立派な責任がついて回るのだから。

あなたの思いに関わらず、ね。

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創造する力
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コメント

  1. より:

    とても狭い視野の意見だと思います

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