感情とうまく付き合っていくために
感情を含めた雑念は、自我から発生するものだ。
自我の通りに怒ったり、不満をぶちまけたり、わがままを言ったりしては世間でやっていけない。
そんな感情をコントロールできない人間は、子供っぽいと見られてしまう。
だから、世間に適応できている人間は、ある程度は自我をコントロールすることができる。
しかし、皆自我の扱いには苦労していると思われる。
心の中のおしゃべりがストレスとなって苦しんでいる人は多い。
宗教など、特にキリスト教では、自我は悪であると捉え、克服すべきものとされている。
自我に負ける人は精神的に弱いというイメージに繋がりやすいし、どうしても自我は邪魔なものと捉えられてしまう。
しかし私は、別の見方を提供したいと思う。
自我とは、一生を共にする自分の中のもう一人の人格であり、友人であると。
自我は自分の敵ではない
自我とは自分にとって邪魔者でもないし、敵なわけでもない。
自分の足を引っ張ろうとする存在でもない。
この自分の幸せを誰よりも願ってくれる人格なのだ。
自分に不利益なことが降り掛かってきたら本気で怒ったり悔しがったりしてくれて、自分にとって喜ばしいことが起こったら誰よりも喜んでくれる存在だ。
そんな自我を友人として受け入れてみよう。
自我に対する捉え方を変えることで、大きな変化が起きるはずだ。
自我を邪魔者として扱うと、自分の意識の中で対立が起きてしまう。
自我も自分のれっきとした一部であり、一生離れられない同居人なのだから、なるべくうまくやっていったほうが良いに違いない。
自我を切り離していた時に感じていた違和感
今までは、自分は自我が顔を出してきた時は
「これは私ではない」
と心の中で唱えて、自我の発する雑念を自分から分離させていたが、これでいいのかな、という疑問の思いもあった。
だって、自我だって自分の構成要素の一部だから。
確かに自我は本当の自分ではないのだけれど、現れてくる思いを切り離すだけで良いのかなぁと思っていた。
本当はそうじゃなかったんだ。
自我は一生を共にする友人なんだ。
夜道を歩いている時に、ふとそういう考えが頭に浮かんできた。
辛い。苦しい。面倒くさい。嫌だ。
そんな風に駄々をこねるもう一人の人格。
そんな人格を、抑え込んだり突き放したりするのではなくて、友人として暖かく見てあげるべきだ。
自分だって、そうされたいじゃないか。
思いを発した時、冷たくあしらわれるんじゃなくて、ちゃんと受け止めて欲しいと思うじゃないか。
わかってくれたら、少しは気持ちが落ち着いてくるものだ。
自我の見せる感情があまりに大人げないと思っても
あまりに大人げない、毒々しい妄想ばかりを自分に見せてくる自我に対して、友人として扱ってあげられないと思う人もいるかも知れない。
確かに、時にはとても激しくて、憎しみに満ちた妄想の場合もあるだろう。
そんな妄想を見せられても、それを見せているのはあなたの中の一部なんだ。
もし、なんら関係のない赤の他人であれば、冷たくあしらったほうが良いかもしれないけど、身内から出ているイメージなのだから、あなたはそんな自我にも優しくしてあげることができるはずだ。
自我を友人として見て、感情とうまく付き合っていこう
自我とは、一生を共にする友人であると捉えてみよう。
あなたは感情の扱い方が今までとは一変するだろう。
今までは苦しみを与える自我を鬱陶しく思っていたが、もうそんな風には思ったりはしない。
自我が苦しみを訴えている時に、慰め、愛情をかけられるようになるのだから。
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