私達の生活には、様々な”良いこと”が現れてくる。
私達は良いことはぜひやるべきだという考え方に侵されているため、その中で興味のあることを片っ端から手を付ける癖がある。
その結果、忙しさににっちもさっちも行かなくなって生活に余裕がなくなったり、充実している割には果たしてこれで良いのだろうかという疑問が心の中でちらついたりする。
世の中は良いことで溢れているのだけれども、私達は時間を無限に有しているわけではないし、また体は一つしか持っていない。
キャパシティの中でやるということを考えた時、良いものを片っ端からやっていくという考え方は改めないといけないと気づく。
つまり、単に良いことよりも、さらに重要な事項を選んでやるべきだ。
また、他人が良いと言っていることよりも、自分が良いと思ったことをやるほうが優先度が高いだろう。
小さなイエスに惑わされず、断固として大きなイエスを選ぶべきなのだ。
ただ単に良いことだからといって、行動に移さない
例えば、次の日曜日にあなたは会社の同僚からバーベキューに誘われているとする。
普段仲がいい同僚以外にも、あまりお付き合いのなかった社員まで参加するというので、良い交流の機会となりそうだ。
また、誘われる内が華という言葉もある。
せっかく誘ってもらったのだからぜひ受けたほうが良いという考えもある。
しかし、今週の仕事はハードだったので、できればあなたは日曜日は家でゆっくりとしていたいと考えていた。
また、残業続きでジムに行けてなかったので、日曜はぜひジムに行こうと考えていた。
世間一般的な考えだと、ここは人付き合いを優先すべきだということになる。
確かに交流は良いことである。
しかし、バーベキューに行くことで自分の中のバランスが崩れそうだ。
ここでバーベキューを優先したあなたは、確かに楽しく過ごせはしたものの、仕事の疲れを回復させられず、またバーベキューでもさらに疲労が重なり、次の週の仕事は大変なものになってしまった。
良いことだからやったほうが良いという考え方だと、このように生活リズムを崩してしまって本心では満足していない状態に陥ってしまう。
人との交流は確かに良いことなのだけど、さらに自分にとってさらに重要なことがあれば、勇気を持って断り、そちらを優先すべきなのだ。
自分は良く読書に逃げてしまっていた
私はよく、読書でそれをやってしまう。
本を読むことは、一般的に良いことだと言われている。
だからといって暇な時間ができたら本を読めばいいかと言うと、果たしてそうだろうか?
私は他のやるべきことがあるにもかかわらず、読書は良いことだという言い訳を持ち出して、読書に逃げてしまう。
結局、読書をした後に、無為に時間を消費してしまったことを後悔するハメになる。
良いことは断りづらい
客観的に見て良いことを断るのは、なかなか勇気がいるものだ。
相手からすれば、なぜ断るのか意味がわからないから。
向こうが提案しているのは、みんなで楽しく過ごせる”良いこと”なのだから。
しかし、ここで相手の顔色を気にしてしまっては、断ることができない。
小さなイエスを断るためには、自分の中により大きなイエスを持っていなければいけない。
自分にとって大事なことを、しっかりと普段から考えておく必要がある。
でないと、良いことの波にただただ流され続けるだけだ。
断る力を養い、最重要事項を優先しよう
現代人は忙しい。
限られた自分の時間を有効に使うことが生活の満足度を高める。
良いことに惑わされてはいけない。
あなたの最重要事項を優先しよう。
あなたが心から望んでいる過ごし方を、より大きなイエスを優先すべきだ。
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