意味を求めてしまうのは人間の習性
人生とは空であり、何の意味もない。
なのに、人間は意味を求めてしまう。
自然と一体となっている動物と違い、人間は前頭葉が発達していて情報空間の中で生きているから、意味を求めてしまうのは仕方のないことだ。
元々、私達が生きていることに意味は無いのに、人間の脳の構造上どうしても生に意味を求めてしまう。
そこに答えはない。
しかし、その罠から抜け出す一つのヒントがある。
何もない空間を覗いても、そこに何も見つけることはできない、ということだ。
水しか入ってない水槽の中をひたすら探しても金魚が見つからない、というようなことを、私たちはやっていたのだ。
意味がないから動かないんじゃなくて、動いて意味を作り出せ
じゃあどうすればいいかというと、とりあえず何かをやってみる、ということがきっかけになる。
何かをやってみると、やった結果が生まれる。
その結果に対して、自分にとっての何か感想が出てくるはずだ。
これをやると楽しい、やってみたけど面白くなかった、など。
そうするとここで、次はもっとこうしたい、という欲求が生まれてくるのだ。
人生の意味が見つからないから、何をしていいかわからないという状態ならば、とりあえずでいいから、現時点で最もマシだと思うことをやってみよう。
なんなら動機は前向きでなくても構わない。
社畜から逃れたいから副業を頑張り、会社への依存度を減らしたい、など。
何か行動をすると、それに対する実感が生まれる。
空であった人生に、何か目安が生まれるのだ。
動くことで、結果を生み、それによって比較対象を作ることができる。
何かやってみて、やっぱり違ったとなったら、その反省を活かして別のことをやればいいのだ。
最も自分に合う行動を探し当てるまで、ひたすら行動し続ければいい。
それすらも幻想なのだけれど
それすらもまやかしだ、虚しい、と思うのなら、隠居してしまえばいい。
人生に対するこだわりを捨てられないのなら、また自分の夢が定まってないのなら、とりあえずなんでも良いから行動せよ。
それによって経験を生み出せ。
無から有を生み出すのだ。
ぜひ、意識してみて欲しい。
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