人生において、この自分の生命以上に大事なものなんてあるんだろうか。
いや、あるはずがない。
命、または個人の尊厳もそうだ。
しかし、俗世間で生きていると、その大前提を忘れてしまうのだ。
「世間がそんなこと許さない。」
「親がなんて思うか。。。」
そのような見方によって、自分自身も毒されているため、自分の命や尊厳よりも、そういった世間の目みたいなものを高位に置いてしまうのだ。
自分の心を守る、命を守る、健康を守ることのほうが大事なんだよ。
だから、我慢なんかしなくていい。
「仕事を辞めたら世間様に顔向けできない」
んなこたあない。
少し休んで、貯金が少なくなってきたらまた働きに出ればいいじゃないか。
既成の概念世界に対して何の疑問も持たないこの世界の住人達
私は、子供の頃から、世の中の人間たちが自分勝手な概念世界を作り上げているということに気がついていた。
気がついていたが、自分以外の全人類の説得によって、その幻想の方を信じてしまったんだけども。
おかげでめちゃくちゃ苦労したし、人生の遠回りをしたよ。
”世の中とはこういうものだ。望ましい人生とはこういうものだ。”
人間というのは、そんな一定のモデルというのを言って聞かせてくるのだが、一方で占いを信じたり、神社に参拝したり、人が死んだらお葬式というのをやったり、科学的に言って理屈に合わないことを何の疑問も持たずに行っているものだ。
でも、神を信じてはいないんだ。神を信じないなら、参拝する必要もないし、仏教の形式でお葬式だってする必要もないじゃないか。
少なくとも、そこに疑問を持とうよ。って思ってた。
何で人は参拝するのか。何でお経をあげるのか。
その、世間の習わしに盲目的な大衆というものに、気持ち悪さを感じていた子供時代だった。
自分を守れるのは自分だけ
ともかく、この世間の大人たちが言っている、世の中のイメージ、また人生というものに対して、そんなものは間違っていると言わなければならない。
すくなくとも、疑問の目を向けなければいけない。
世の中で決まっていること、世間の目、そんなものはまやかしだ。
みんながあると信じているから、存在できるのかもしれないが、それのほうが個人の尊厳よりも上に来るというのはありえないことじゃないか。
本当に苦しくなったら、そんなものから逃げてしまえばいい。
あなたを守ってくれるのは、あなた自身しかいないのだから。
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