どうしてもこだわりを捨てられないことって、誰しもあると思う。
他人からどうアドバイスされたって、このことに関しては、自分の気持ちを曲げられないというような。
そんな風に思っていることがあるのなら、あなたはその道をひたすら突き進むしかない。
あなたが納得するまで突き進むんだ。
あなたが「もう良いや」と思えるところまで、ガッツリと自分の思い通りの行動を取るしかない。
自分の心の中にあるこだわりは、昇華しきらないと決して消えないものだから。
私の捨てられないこだわりは、思う存分ゲームをすること
私は子供の時、親からテレビゲームを禁止されていた。
私の子供の頃は、ファミコンやスーファミが全盛で、持っている子の家には友達が集まるという現象が起きていた。
だから、私の家には友達が遊びに来るということはほとんどなかった。
ファミコンという餌を持っていない上に、コミュ力もなかったので、結構孤独な子供時代だった。
私の心には、ゲームを思う存分やってみたいという思いが植え付けられていった。
社会人になって一人暮らしを始めたら、私は早い段階でその願望を叶えた。
ゲームを長時間ひたすら思う存分にやりこんだのだ。
何十時間やったかわからない。
ある日は夜中まで、寝るのを惜しんでゲームをした。
ところがある時期を境に、パタッとゲームの熱が冷めてしまった。
子供時代に禁じられていたゲームをひとしきりやりこんだら、その思いは昇華されたのだ。
それまでの私にとって、ゲームは誰が何と言おうともどうしてもやりたいことだった。
時間が無駄になっても、何の学びもなくても、視力が悪くなっても、ゲームをやりたかった。
当人がこだわりを持っていることというのは、とことんやってみて体感として何かを学ぶまで、止められないものなんだと思う。
他人から見て自分を粗末にしようとしている女性がいたとしても
一つの恋愛に自分を縛っておきたくないという女性がいたとする。
友人がいくらアドバイスして彼女を止めたとしても、彼女にとっての捨てられない思いであれば、彼女は自分の思いを貫くだろう。
思い込み、こだわり、執着。
どうしても心から消えない衝動は、他人もその当人も、実現に向けて止めることはできない。
その結果、傍から見れば自分を粗末にする恋愛を続けたとしても、彼女自身が納得の行く所までその所業は止まることはない。
結果、私がゲーム熱がある時冷めたように、彼女自身も、自分を粗末にする恋愛はもうやめにしようと思えるところまで突き進んでしまう。
私が我に返って、だいぶ時間を無駄にしてしまったと気づいたように、彼女自身もまた何かを悟るだろう。
もしくは、もう良いって思えなければ、一生そんな生き方を続けてしまうだろう。
でも、たぶんどうしてもこだわってしまうことって、その人にとって昇華されるべき思いだったのだと思う。
そんなことしなければよかったのに、と他人が言ったって、何も心に響かない言葉となる。
捨てられないこだわりは実現されてしまう宿命
あなたの心にこびりついているこだわりは、実現に向けておそらくは止められない。
それを他人が阻止しようとしてくるかもしれないが、あなたは他人を押しのけて、必ず思いを実現させてしまう。
それは場合によっては自暴自棄な行為かもしれない。
だとしても、それはあなたにとって昇華されるべき思いなんだ。
思う存分自分の思いを叶えた時点で、あなたが何を学び取るか。
それは他人から見たら予めわかってしまう宿命のようなものかもしれない。
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