人は皆最初から好奇心の塊
赤ん坊が何にでも手を出して、口に入れてしまうように、大人になってもそうであるとすれば、それ相応の跳ねっ返りは覚悟しておかなければいけない。
赤ん坊は何でも自分で試して、この世界の事象について学んでいく。
砂場で砂利を食べればジャリジャリして固くて不味い。
椅子から落っこちれば、あまりの痛さにびっくりする。
赤ん坊はすべて、好奇心で満ちていて、なんでも試してみないと気が済まない。
きっと予め人間に備え付けられた性質なのだろう。
興味のあることを試すのも楽しいし、それによって痛い目を見ることも、それはそれで楽しかったりもするのだ。
しかし、それを大の大人がやると、赤ん坊のレベルに収まらない、とんでもない冒険を仕出かす。
子供の時に健全に好奇心を開放していないと
私自身、幼少期に始まり、大学卒業までずっと、殻に閉じこもった生活を送ってきた。
友人がいなかったので、休みの日はずっと家でゴロゴロ過ごし、FMを一日中聴いていたりした。
社会人になるまで、本当に外向きに何か活動をしたり、挑戦をしたりと言ったことがなかった。
そうなってくると、社会で揉まれるようになって、少しばかり慣れてきたら、今度はどんどん攻めに転じるようになるのだ。
それこそ、何でも試してやろうという精神だ。
今まで足りてなかった経験を一気に吸収するかのように。
だから、子供の時から適度に挑戦をさせたりして、外に向かって何かアプローチをかけて、その反応が返ってくるという経験をさせたほうがいいんだ。
それは部活動でも良いかも知れないし、自転車で一人旅をするというような経験も大いに役立つと思う。
過保護が子供に与える影響
子供の頃の健全な経験の積み方をしてこなかった人間は、大人になってからその楽しみを知ることになる。
そうすると、親の庇護下にないから、もうそれは節操のないやり方になってくる。
随分なお嬢様が、AVに出演してしまったりとか。
お坊ちゃまとして育てられてきた子が、稼ぎを全部キャバ嬢に貢いじゃったりとか。
これらは、私の身の回りで起きたことだ。
だから、親ならば、子供のチャレンジを阻害してはならない。
子供のやる気の芽を摘むような発言は控えなければいけない。
そうしたことが、後々に大変なことになって返ってくる。
つまり、人間は生まれ持った好奇心を満たしたくて仕方がないのだ。
子供の時にそれが不十分であれば、大人になって親から自由になった時に思う存分やってしまう。
子供の時に押さえつけても、いつか好奇心を満たせる時が来たら、その子は満たそうとするだろう。
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