結果を出す人と出せない人の違い。成功に必要な努力量を知ってるか

出来るようになる 法則

ある技能を習得しようとして

ある技術を習得して結果を出そうと思った時、どのくらいでできるようになると想定されるだろうか。

リフティングや逆上がりなどを想定した場合は、自分の運動能力も加味した上で、ある程度必要な時間と努力量が想定できると思う。

しかしもっと高度な技術だった場合、それを習得すると社会で役立ったり、金になったりするようなものの場合は、そう簡単に行かないことが多い。

例えば、パブリックスピーキングの技術を想定した時、大勢の聴衆を前にして、物怖じせず堂々と、スティーブ・ジョブズのように話すことができるだろうか?

ただやった、というだけではなくて、聞いている人の心を動かすような堂々としたスピーチとなると、どれだけ訓練を積めば良いんだろうかと思ってしまう。

また、ピアノなんかはもう、どれだけ練習を積めばいいかわからないくらいだ。

結果を出すために与えられた機会に対して愚直に取り組んできたか

このように、自分だったら多少頑張ればできるようになるだろう、とタカをくくってたらとんでもなくて、こんなこと無理なんじゃないかって思った経験は誰しもあるんではなかろうか。

おそらく、過去どんな人生経験を歩んできたかによっても、壁にぶち当たった時、どういう反応をするかは違ってくる。

ある技術を自分のものにするためには、1万時間の法則とよく言われるように、そのくらい自分の頭や体に時間をかけて染み込ませないといけないものなんだ。

それを経験上わかってる人は、根気よく毎日毎日訓練する。

大多数のわかってない人間は、数日で諦めてしまうのだ。

その分かれ目の一つとして、私は義務教育の期間の取り組み方にあると見ている。

勉強というのも、簡単には身につかないものだ。

繰り返し繰り返し計算して、覚えて、でも後でチェックすると忘れてて、その繰り返しだ。

そこで勉強に打ち込んだ経験のある人は、ある一定のラインを超えるに必要な努力量というものが、感覚でわかっている。

もちろん部活でも同じことが言えると思う。

日本の教育は、色々と問題点のほうがフォーカスされることが多いが、やはり基本的に子供の成長に必要だから存在するものであって、きちんと取り組めばそれなりの良きことが得られるんだ。

結果を出せない人は、熱中して取り組んだことのない人間

その義務教育期間は、別に熱中して取り組まなくても、なんとなく過ごして卒業することもできる。

ほとんどの人間はそうやって過ごしてきたはずだ。

かくいう私もそうだ。

おとなになって、何か技術を習得しようとした時に、真剣に物事に打ち込んでこなかったツケがやってくるんだ。

しかし、我々は今からでも頑張るしか無い。

何か進みたい方向性があるならば、打ち負かされてはいけない。

うまくいくまでどのくらい耐えればいいか、辛い時にわかっている人は、強い。

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