感受性が強い人が成功しづらかった時代
右肩上がりの経済成長期には、右にならえで良かった。
むしろ、どれだけ属している組織の論理を理解し、それに沿って振る舞えるかが、その人の成功を決めた。
決まりを守る。上長の指示を正しく遂行する。組織内の空気を読む。組織内での評判を高める。
組織の矛盾が気にならない。
そんなことが上手な人間が、上に登っていけた。
感受性の強さは邪魔だったのだ。
組織に順応できる人が戸惑う時代へと変わった
しかし経済低迷期へと移ると、状況は変わっていく。
組織の論理に従っても、決して浮かび上がれないという状況に日本人は初めて直面したのだ。
失われた20年と呼ばれる期間は、人々は戸惑った。
しかし、実は決して悪いことばかりではないのだ。
失われた20年を経て、組織よりも個の活躍が目立つ時代となった。
IT革命があり、個人での発信のハードルが極端に下がった。
つまり、パイが限られる組織内で上り詰めるよりも、個人で何かを興したほうが、爆発的に稼げる時代になってきたのだ。
世間的にはそれを評して、強いものがより強く、弱いものが割を食うみたいに言うが、一概にはそうは言えない。
むしろ、昭和の時代には浮かばれなかったタイプの人々が、輝ける可能性のある時代へと変わってきたと言いたい。
そう、組織に馴染めない人々のことだ。
感受性が強いことがメリットになり始めた
組織に馴染めない人は、感受性が強すぎて、臆病であったり、傷つきやすかったりするので、大人数よりも一人が好きだ。
そういう人は昭和の時代は辛かった。
組織というレールから外れたら、他に道はないからだ。
しかし今は違う。
組織適応型の人種は今も多いけれども、安月給で割に合わない仕事量と責任を背負わされている。
しかし頑張ってそれを何年続けたとしても、生活が楽になる保証は会社は見せてくれない。
では個人で何かをやろうと思った時、彼らは逆にそれは苦手なのだ。
なぜなら、発信するということは、クリエイティブでなければいけないからだ。
クリエイティブであるために何が必要かと言うと、それは感受性なんだ。
何かを作ろうと思った時、アイデアがないとできない。
そのアイデアを持てるのは、感受性が強い人々ということになる。
そう、今まで浮かばれなかった、感受性が強すぎて社会に溶け込むのが苦手だった部類の人々が、逆襲するチャンスなんだ。
私自身も、社会でうまくやれない人種だから、社会に適応するための努力とか苦労があるからこそ、こうやって自分のメディアを持つことができている。
感じたことを形に変えることで、個人が活躍できる時代なんだ。
感受性の強い人こそ、輝ける。
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