悪い行いは自分に返ってくるか?
悪い行いをしたら、一時的な得を取れても、やがて自分に悪い行いが返ってくるというのは、皆なんとなく潜在的に信じているんだと思う。
それを因果応報やカルマの法則などと言ったりする。
スピリチュアルの世界の先生も、よく因果応報については語っていると思う。
しかし、現実世界を見渡してみると、必ずしも言われている通りにはなっていないような気がする。
悪い行いをしたやつが得をし、その後もわりあい平穏な暮らしをしていたりする姿は珍しいことではない。
その逆で、こんなにいい人なのに、というような人間に災難や不幸が訪れたりもする。
そう、「憎まれっ子世にはばかる」ということわざもあるから、逆もまた真なりなのかもしれない。
いい人なのに災難続きな人を評して、前世が悪人だったなんて言う占い師もいたりする。
そんな確かめようのないことを言われても・・・
一体何が真実なのかわからなくなる。
悪い行いをしても自分に返ってこないかもしれない
では、真実は一体何が正解かというと、答えは「わからない」だ。
悪いことをしたヤツが、その後報いを受ける場合もあるかもしれないし、報いを受けずに幸せな気持ちで一生を遂げる場合もあるかもしれない。
つまり、絶対に因果応報が機能するかどうかはわからないのだ。
あるスピリチュアル先生は、「たとえ今生で報いを受けなくとも、来世で報いを受ける」などと言う。
そうかもしれない。
しかし、そうならないかもしれない(笑)。
絶対にそうなるなんてことは我々には知る由もないのだ。
スピリチュアル的に見て因果応報が機能するかはわからない
だから私達は、悪いヤツや気に食わない輩を見て、
「あいつは今は笑っているが、後々落ち目に会うに違いない。このままずっと行くはずがない」
というようなことをよく考えに持つと思うが、そんなことは時間の無駄だからやめたほうがいい。
因果応報は機能するかもしれない。しかし機能しないかもしれない。
私達にはわからない。
悪い奴らは、悪い行いを続けたまま、結婚をし、家庭を持ち、子孫を残し、充実したまま一生を終えるかもしれない。
結局あなたの期待は叶わなかった。
そんな事になってしまうかもしれない。
だから、因果応報が起こることを望むなんていう、そんな不毛な願い事はあなたの人生の無駄だからやめておいたほうが無難だ。
そんなことに意識を向けているのなら、あなた自身のためになる時間の使い方をしたほうがよっぽど良い。
スピリチュアルの世界では、善悪は個人の見方に過ぎない
第一、良い悪いという判断基準は一個人の視点に寄るところが大きい。
あなたが理不尽であると感想を持った出来事は、一個人が思った判断基準に過ぎないのだ。
たとえどんなに受け入れがたい内容だとしても、あなたの一意見は残念ながら”基準”にはなり得ない。
むしろそういった個人の見方を幻想であると気づかせてくれるのがスピリチュアルの役目なのではなかろうか。
あなたはもっと広い視点からものを考えなければならない。
悪い行いは必ず報いが来ると、願っているのは自由だけれども、そもそもの良い悪いの判断は果たして神的視点から言っても通るものなのだろうか?
または、あなたが抱えている判断基準は、世間でまかり通っている判断基準をそのまま持ち出してきたものではないのか?
人間社会で決めたことが、スピリチュアル的に言って神のルールにも反映されるかどうかなんてわからないではないか?
もし神がいるのなら、そんな個人の利害を汲み取るような希望を叶えてくれるのだろうか。
人間の思考よりももっと大きな、想像もつかぬ視点から見守っているかもしれないではないか。
この世界の住人が口々に主張する、この世に機能している法則よりも強いものがある。
”私の”、そして”あなたの”世界だ。
あなた自身の世界を、もっとよく知り、よく見るべきだ。
あなたの世界の登場人物が口々にあなたに語りかける内容を信じて、この世界の探求を止めるのではなくてね。
あなた自身があなたの人生を生きるならば、他人が言っていた真偽の確かめようもない事柄を、信じるなんてできないはずだ。
あなた自身があなたの人生で、あなたの世界で真実をつかもう。
因果応報は本当に機能しているのかどうかは、我々人類の知る範疇にない。
今生に因果応報が起こらないのなら、来世、さ来世となってくると、そこで因果の解消が起きたと言われても、そのときにはこっちが当時の恨みなどどうでも良くなっている。
そんなことよりも、真実はあなた自身のリアルであり、あなた自身の”生”なのだから、あなたの宇宙の中の登場人物が言うことなどに真実性を感じてはならない。
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