人生での学びとは
人生における学びは、いかにして起こるのか。
人生生きていると、なぜ苦しいと感じる出来事が起こるのか。
それらのことについて、今日は説明する。
人はパラダイムを通して世界を認識している
人は、この世界をありのままに認識しているわけではない。
だから、皆が同じ世界を見ているわけではない。
本当は、人それぞれが個別のパラダイムを持ち、そのパラダイムを通して世界を見つめている。
パラダイムとは、世界とはこういうものだ、という個人的な意味付けや見方になる。
だから、パラダイムには当然真実に近いものもあるし、真実からずれてしまっているものもある。
パラダイムと現実とのギャップが埋められた時に学びが起こる
生きていると、自分の持っているパラダイムでは説明できない事象が現れることがある。
それが、自分には理解できないものとして、違和感であったり、苦悩であったりを呼び起こす。
そういった苦悩を克服するためには、パラダイムに関して現実とのすり合わせを行わなければいけない。
新たに現れた現実に対して、今まで持っていたパラダイムというレンズの度を微調整する必要があるのだ。
その時に「学び」が訪れる。
- すでに持っているパラダイムではカバーできない、理解不能な体験によって、傷つき苦悩する。
- パラダイムと起こった現実との調整を図る。
- 調整前と調整後の差から「学び」が起こる。
人生を生きていると、このようなサイクルが繰り返されることになる。
だから、人生は学びの連続だと言える。
私達は学ぶために生まれてきている
ありのままの現実を見つめられるほど精度の高いパラダイムは、誰も持っていないので、つまりは生きるということすなわち苦悩を体験することと言える。
私達は、この世界に学びに来ているのだ。
この学びのサイクルからすれば、つまりは苦しみがなければ、学びもやってこないということになる。
だから、今が苦しい人は、この先に学びがあるんだと思って頑張ってほしい。
あなたの持っているパラダイムが、現実を正しく表し切っていないためなので、なんとかパラダイムのズレが調整されるまで、辛抱して欲しい。
そのためには、問題解決に向けて、悩みに悩む期間というのも必要になってくる。
悩みに悩みぬいた結果、ある瞬間ふと学びが起こり、パラダイムのずれが調整され、今まで見えなかったものが見えるようになるはずだ。
苦しみが大きければ大きいほど、それを克服できた時に大きな学びが待っている。
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