何をするのも億劫に感じる人
自分で動くというのは、基本的に億劫だ。
誰かにやってもらってたほうがいいし、環境に身を委ねていたほうが楽だ。
私は朝が苦手だ。朝目覚ましがなって、さあ起きなきゃいけないとなった時に、よいしょとベッドから起き上がるのが非常に億劫だ。
布団の中はヌクヌク温かい。その布団をはいで起き上がることは、寝起きの意識にとっては苦痛でしかない。
雑念から目覚めるということは、まさにベッドから起き上がる時に求められることと似ている。
自我が垂れ流す雑念から、離れようと自分の心を働かせるのは、億劫だ。
壊れたラジオのように永遠と流され続ける雑念を見させられていたほうが、自分はソファーで横たわってただ聞いているような感じでいいから楽なんだ。
受動的な態度から能動的な態度へ
昨日、心のトレーニングは筋トレに似ていると言ったが、まさにそういうことだ。
心もしっかりと規律を持たせられるように、自分で動かす訓練をすることだ。
自分で動かし始めると、今まで受信していた壊れたラジオの放送は聞こえなくなる。
代わりに、自分が影響される側から、周りに影響する側に変わっていく。
電波を受信する側から、電波、または波動を発信する側へと移り変わる。
運命に翻弄されている側から、運命を創造する側へと、変わることができるんだ。
真理はシンプル。でも、実際に行うことは大変むずかしい。
カーブの握りをプロの野球選手に教えてもらったからといって、すぐにカーブが投げれるわけではない。
やはり時間を見つけて、練習して使えるレベルにまで落とし込む作業が必要だ。
「わかった」と「できる」は違う次元の話だ。
この宇宙では、惑星の軌道のように、調和が取れた状態まで持っていくには、それなりに時間が必要なのだ。
しかし慣性の法則があって、一度加速が付いてしまえば、それ以降は努力無しで同じ速度で永遠に進み続けることができる。
人間に当てはめると、習慣だ。
億劫さがなくなるまで、自ら心を働かせて、日々自我と戦い訓練し、習慣にまで落とし込んでいこう。
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