上っ面で生きている人たち
もし普段の日常会話で、「人生の意味ってなんだろう」なんて話したら、きっと馬鹿にされるだろう。
「自分探し」というワードにも、どこか愚かな行為というニュアンスがこもっている。
しかし、自分探しを笑う人の中で、どれだけの人間が自分についてわかっていると言うのだろうか?
普段の生活する範囲で出会う人間関係で、ほとんどの人が、人生とか自分とかって問題に、自分なりの考えなんて持ってやしない。
そもそも問題意識に上がらないんだろう。
だから問うこともないし、哲学も形成されない。
そんな人達に(たとえあなたの親でも!)、さらっと自分の考えをしゃべってしまったら、「現実を見ろよ」と上から目線で言われるだけだ。
あなたは特別な才能を持っている
人それぞれに、見える範囲が違うという。
認識できる範囲が違うから、すなわち見えている世界観も変わるのだ。
あなたと同じように、他人がこの人生について考えてるとは限らない。
多くの人がこの現実そのものを見て、それで認識が完結しているのならば、人生とか、自分とかに意識を向けられる人は、より抽象的にこの世界を見れる人だと言うことになる。
宇宙とは何か、私とは何か、人間とは何か、そういう疑問を持てるということは、それだけ視座が高い。
抽象度の高い思考ができる人こそ、IQが高いのだ。
こういった素朴な疑問を持てる人間は、マイノリティなので、どうも一般社会では肩身が狭くなりがちだが、自信を持てばいいと思う。
そういったことに目を向けて、真剣に悩めるというのは、他の人にはない、あなただけの才能と言ってもいいのだから。
そういうDNAを持って生まれたってことで、運命だ。
私自身、認められずに苦しんだ
私自身、今までの人生で長く、私の素朴な疑問を、誰からも共感されたことはなかった。
私自身の中で確信しているアイデアでも、周りの友人、両親、誰からも理解されてこなかったから、自分自身を疑うようになるのは、不幸だが必然の流れだった。
「自分の考えはおかしいんじゃないか。いつも間違ってるんじゃないか」とね。
30過ぎてから、とある高齢の社長さんに初めて考え方を認められ、それからようやく自分に自信を持てるようになった。
余談だが、インターネットが広まったというのは、マイノリティの考えの人にとっては本当に救いだと思う。
身の回りに仲間が見つからなくても、ネットなら日本中から探せるからね。
日本中から探せば、必ず考えを認めてくれる人がいる。
たとえ周囲から認められなくたって、自分の中で確信がある考えならば、決して自分で否定してはいけない。
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