幼少期から学生時代
物心ついた頃にはすでに極度の怯え症で、主なその頃の恐怖の対象は母親だった。
私にとって母親はとても大きく、また怒った時の鬼のような形相には、恐怖で体がしびれるような感覚を覚えていた。
母親は今でもトラウマになっている。
他人に対しても極度に恐れていて、ろくに会話もできなかった。
子供時代は、会話の能力が平均よりも劣っていて、普通の受け答えができてなかったと思う。
他人から何か話しかけられても、様々な恐怖であったり戸惑いといった感情が湧いてきて、頭がフリーズしてしいた。
そんなことであるから、学校生活では友達が少なく、いじめられることも頻繁にあった。
子供時代は、自分に自信の一欠片もなく、自分の考えることは全て間違っているのではないか、自分よりも他人の考えのほうが正しいのではないかと考えていた。
小学校の担任の先生が「大人になったら苦しいことがいっぱいあるぞ。だから子供時代がいいよ。」と言っていたことに驚いた。
今でも死ぬほど毎日が辛いのに、大人になったらこれ以上の苦しみがあるなんて、と。
でも実際大人になったら、子供時代よりも気楽に生きていけるようになったので、先生の言ったことは自分にとっては嘘だったことになる。
父親は、高田純次のような適当な人間で、内面の未熟さや弱さを冗談でカバーするような人だった。
あまり父親として向き合ってもらった記憶もない。
そんな父親だったが、自信のかけらもない自分に、その後生きていくに当たって支えとなるような言葉を私に与えた。
「みちをは大器晩成型だからな」
大器晩成とは遅咲きの花という意味で、今はまだ未熟かも知れないけど、徐々に成長し、やがては成功をおさめるような人物になることを表す。
素直な少年時代において、親が子供に対し、どのような言葉を投げかけるかは本当に重要だ。
疑いを知らぬ自分は、その言葉を信じた。
今は埋もれているかも知れない。
だけど、自分は本当は可能性を秘めている。
自分には価値があるんだ。
自分に対して素直にそう思い込んだ。
幼き頃の私の潜在意識に、しっかりと書き込まれたんだと思う。
社会人になって
大学を卒業し、社会人になるに当たって、一つ重要なことがあった。
家の遠くで働くということだ。
それによって、親元から離れる選択をした。
自分自身、成長するためには親の影響から離れなければならないと感じていた。
はじめての一人暮らし。
家事はほとんど何もしたことがない。
働き始めて初めての休日がやってきた。
仕事で疲れの残った体を起こしながら、急に心が動揺し始めた。
何をやったら良いか全くわからなかったのだ。
お腹が空いた。
何かを食べないといけない。
どこで何を食べたら良いんだろうか。
そして、食べた後は休日をどのように過ごすべきなのか。
もう大学は卒業し、学歴社会のレールは終わった。
その後の正解の道は何も用意されていない。
自分自身が決めるしか無い。
しかし、今までの人生で何も決めて来なかった自分は、自分で考える力というものをまるで発達させて来なかった。
私は、曲がりなりにも大学まで行った成人男性が、今日の行動を決められないという事実を目の前にして、心の底から絶望した。
自分は何か欠陥があるのではないかとすら思った。
真剣に焦りを感じ、その後は乾いたスポンジが水を吸収するように、今まで得てこなかった人生経験を、それこそ良い悪い関係なく、手当たり次第経験していった。
20代は、それまでの経験不足を埋めるために費やしてきたようなものだ。
このブログは、生き辛さを感じてきた自分が、この世の中で生きていくために学んできたことを、自分なりに理解できた範囲で伝えていく。
もともと考えを言葉にすることが苦手だったもので、記事を書きながらも、自分の表現力のなさに苛立ちを覚えることも多いが、多少読みにくい部分があるのはご容赦願いたい。
もちろん、全部が誰かの役に立つとは思わないが、何か一つでも誰かのためになり、勇気を与えることができたならば幸いだ。