自分を愛するというのは、自分に時間を使うということ。
愛情とは、関心を持つこと。
こだわりを持つこと。
偏愛。
それに時間を費やすこと。
時間イコール命。
時間イコール命であるならば、愛とは投資である。
愛の総量に上限があるならば、どれに愛を振り向けるかを選択しなければならない。
身なりが適当になっているのは、自分への愛が行き届いてないシグナルになる。
自分が関心を持つことが存在につながるので、外に関心を持つと言うことは、外の問題をわざわざ存在させてしまってると言うことになる。
ゲシュタルトは一つしか取れないので。
その間、自分自身は存在していない。
自分を存在させ続けることが自愛。
自愛とは無理やり自分の感情をポジティブに変えることではなく、ただ自分の感情に目を向けること。
自分自身のそばにいてあげること。
心の叫びを聞いてあげること。
何を感じているのか、ただ気づいて認識してあげる、日記を書くという作業がなぜメンタルに良いかと言うと、否が応でも自分に寄り添うことになるから。
自分に寄り添うことこそが自愛であり、やっとその瞬間に自分の精神がこの世に存在することになるから。
自分に目を向ければ外の世界は存在しないことになり、まさに幻想となる。
この世は幻想である、ではなく、幻想とさせるか否かは自分次第だと言うことになる。
正確にはすべてが認識であり幻想であるのだが、何を実際にあると認識するか、ということ。
自分以外に関心を寄せると言うことは、外に幸せを求めていると言うこと。
本当の幸せは自分の中にある、とは、結局外を見ても本当の自分自身は満たされることがないから。
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